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芸術史と芸術理論 第3回 は、アリストテレス芸術哲学 演劇の普遍性だ。最初に紹介されたのは、エピダウロス 古代ギリシャの劇場だ。アテナイは城壁に囲まれ、アクロポリスの丘に、パルテノン神殿をはじめとする重要な神殿があり、まさにその足元に、ディオニュソス劇場がある。
観劇とは今日の観劇とは意味が違い、政治的なイベントでもあり、古代ギリシャのペリキュレスの民主主義と密接な関係があったという。春の祭りは7日も行われ、15000人のキャパのディオニュソス劇場は、アテナイ市民の大半を収容できるといわれる。...

春のディオニュソス劇場の祭りには、当然、予算も必要だ。3人の俳優(詩人)の人件費は国家が負担するが、それ以外は、市民が出したという。コレーゴス、上演世話人だ。俺が考え込んでしまったのは、このコレーゴスだ。フランスのノブレスオブリージュ、高貴な義務の原型が、すでにここにあった。貴族の身分というのは義務を伴う。富裕な人は、社会国家から、それだけ恩恵を受けている以上、国家社会に対して、貢献する義務を負うという奴だ。あまり日本の財閥には乏しい概念かもしれない。美田を買わぬアメリカ富豪の気質というのもあ...
どうして、人は、悲しい、恐ろしい、悲惨な悲劇なんかを見るんだろうか。それに対しても、ソポクレスのオィデプス王の悲劇をもとに、アリストテレスは語る。中学生くらいの頃に、オペラの楽曲をきいたり、フロイト理論から、ソポクレスのオィデプス王にたどり着いたのだが、何ともやりきれない話である。
カタルシスという言葉については、いろんな説があって定まらないようだ。当たり前のようにも思う。なぜって人の心の動き方、感じ方の問題でもあるわけで、普遍化できる部分もあるだろうけど、それだけでは片付かない点も残るだろう。...