芸術史と芸術理論 第一回 個性の発揮

芸術は、単に好き嫌いだけではなく、その背景や世界感、民族の歴史を踏まえないと、正しくは理解できない。教授は西洋の芸術、作品を示しながら、そのことを言われていた。これは日本の芸術だって、どこの文化圏の芸術だって同様だろう。茶道美術といわれるものにしても、軸や花にこめる意図を理解し、作り上げたもてなしの世界を正しく受信するには、受け取る側にも素養がいる。そういう遊びじゃないかと思う。
個性の発揮こそが芸術だという論調が多い中、それはわずかな期間の話に過ぎないという教授の主張は痛快だ。少なくとも4万年の文明の歴史の中で、個人ではなく世界をあらわすのが芸術だったと。
個性なんてものでも、その人間の出自や環境、民族や文化的な背景を無視して産まれることはない。どうしたってどんなに無茶をやりオリジナルだ革命だと言おうと、やはり歴史の時間軸があって、その上で生まれてきたものだ。大人の状態で生まれてくる芸術家なんていないんだ。

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