芸術史と芸術理論 第一回 シャンディイのコンデ美術館の展示
シャンディイのコンデ美術館については、今回の講義で初めて知った。いわば個人美術館だ。日本でいえば、出光とか、根津とか、五島とか。大阪の東洋陶磁も、市立ではあるが、個人のコレクションをベースにしているという意味では、コレクションがそのコレクターの人間を語る個人美術館である・・とも言えるだろう。さて、シャンディイのコンデ美術館のコレクションを1代で集めたオーマル候は、遺言をしっかり残したという。展示の方法も、貸し出しも一切禁止。壁への絵画の並べかた、おき方も含め、指定どおりにせよ、変えるな・・・と。
個人の美術館で、ここまでの指示をした例を、俺は知らない。よほど自分の審美眼、ディスプレィに拘りがあるんだろうなぁ・・・と俺はその心情に関心がいくのだが、教授は、それが社会、文明、文化を語る例としてとりあげている。同一の事実を目の前に、違うことに意識が向かうことも、俺には興味深い体験といえる講義だった。
個人の美術館で、ここまでの指示をした例を、俺は知らない。よほど自分の審美眼、ディスプレィに拘りがあるんだろうなぁ・・・と俺はその心情に関心がいくのだが、教授は、それが社会、文明、文化を語る例としてとりあげている。同一の事実を目の前に、違うことに意識が向かうことも、俺には興味深い体験といえる講義だった。
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