今回、放送大学の「芸術史と芸術理論」(青山教授)の講義の履修を決めた。俺の美術の趣味、関心が向かう方向は、日本と朝鮮程度の狭い範囲でしかない。今回の「芸術史と芸術理論」が扱うであろう西欧の芸術、美術については、ほとんど何も知らないに近い。高校でやった世界史とかで少し触れた程度で、そりゃあエジプトとかクレタ島とか、プラトンとか記憶にはあるけどね。有機的に結合した知識じゃないし、美術館でそういった時代の彫刻なんかみても、特別な感慨もわかない。好きか嫌いかという話があるにしろ、古代からのヨーロッパなど...
続きを読む≫ 2012/04/16 16:03:37 概要など
芸術は、単に好き嫌いだけではなく、その背景や世界感、民族の歴史を踏まえないと、正しくは理解できない。教授は西洋の芸術、作品を示しながら、そのことを言われていた。これは日本の芸術だって、どこの文化圏の芸術だって同様だろう。茶道美術といわれるものにしても、軸や花にこめる意図を理解し、作り上げたもてなしの世界を正しく受信するには、受け取る側にも素養がいる。そういう遊びじゃないかと思う。
個性の発揮こそが芸術だという論調が多い中、それはわずかな期間の話に過ぎないという教授の主張は痛快だ。少なくとも4万年...
エジプトの美術について教授が論述されていたことは、なんというか感動すら覚えたw 3000年変わらないエジプト芸術の特徴は、個性の発露などを目的としたのではなく、神に向かっていたからだ・・と。なるほど・・と納得させられる。もっとも好き嫌いは別の話だ。エジプトの話で思い出したことがある。日本の鍋島とか九谷焼とか藩の主力産業として徹底した品質管理、技法の漏洩を防ぐことに努力していたと言われる。精緻で極めて高度な技法で見事なものなんだけど、好き嫌いでいうと、やっぱり好きじゃないw 美術館でみるにはいいだ...
シャンディイのコンデ美術館については、今回の講義で初めて知った。いわば個人美術館だ。日本でいえば、出光とか、根津とか、五島とか。大阪の東洋陶磁も、市立ではあるが、個人のコレクションをベースにしているという意味では、コレクションがそのコレクターの人間を語る個人美術館である・・とも言えるだろう。さて、シャンディイのコンデ美術館のコレクションを1代で集めたオーマル候は、遺言をしっかり残したという。展示の方法も、貸し出しも一切禁止。壁への絵画の並べかた、おき方も含め、指定どおりにせよ、変えるな・・・と。...
芸術史と芸術理論 第2回 の放送講義は、がっつりプラトンだ。いやぁあ深いw プラトンについての記憶なんて、昔の人w で、たしか哲学者でイデアを唱えた人程度しか残っていなかった。イデアの何たるか・・・なんぞ、世界史の授業では深入りしなかったしな。まあ、学校の先生も深入りできるほどの知識もなかっただろうけど。プラトンが芸術をどう考えていたかを、その膨大な哲学、思想の中から切り出しての講義なんだが、うはぁあ・・・w けれど、このプラトンの思想が、この後のヨーロッパ文化圏に思想、ひいては芸術にも大きな影...
芸術史と芸術理論 第二回 。寝椅子の使い方に対する悪ふざけはともかく、まさにイロイロ考えさせられる内容だった。人類が600万年前に誕生したとして、文字ができて数千年、そして識字率、大半の人が文字を読み書きできるようになったのは、わずか数十年のことにすぎないとの話。伝達のメインは、口承だったし、朗読だった。ホメロスの詩が、多くの人の前で、詠まれるものだったというのは、識字率99%?なんて現代日本に生きる自分には、違和感を感じていたが、むしろ自分の環境でのモノサシだけで考えてしまった典型だった。
詩...
詩と詩的なもの違いも強烈だ。詩的なものは、詩から一番遠いものである。自己の内面を吐露することが詩人である、あるいは芸術である、個性的な内面を供出する表現することが、19C頃からの個人主義の確立とともに広がっているのは誰もが知っている、俺もそんな解釈でいた。世界の本質に向かう、真理、真実、根源に向かって、冷静に、峻烈に、正確にと、ただ努める。なんとなく詩的・・は、一番、詩から、文芸から遠いものである。強烈な話だなぁ。これ。
世界、美しいもの、感動、いろいろな真理、本質に心を動かされ、向うからやって...

芸術史と芸術理論 第3回 は、アリストテレス芸術哲学 演劇の普遍性だ。最初に紹介されたのは、エピダウロス 古代ギリシャの劇場だ。アテナイは城壁に囲まれ、アクロポリスの丘に、パルテノン神殿をはじめとする重要な神殿があり、まさにその足元に、ディオニュソス劇場がある。
観劇とは今日の観劇とは意味が違い、政治的なイベントでもあり、古代ギリシャのペリキュレスの民主主義と密接な関係があったという。春の祭りは7日も行われ、15000人のキャパのディオニュソス劇場は、アテナイ市民の大半を収容できるといわれる。...

春のディオニュソス劇場の祭りには、当然、予算も必要だ。3人の俳優(詩人)の人件費は国家が負担するが、それ以外は、市民が出したという。コレーゴス、上演世話人だ。俺が考え込んでしまったのは、このコレーゴスだ。フランスのノブレスオブリージュ、高貴な義務の原型が、すでにここにあった。貴族の身分というのは義務を伴う。富裕な人は、社会国家から、それだけ恩恵を受けている以上、国家社会に対して、貢献する義務を負うという奴だ。あまり日本の財閥には乏しい概念かもしれない。美田を買わぬアメリカ富豪の気質というのもあ...
どうして、人は、悲しい、恐ろしい、悲惨な悲劇なんかを見るんだろうか。それに対しても、ソポクレスのオィデプス王の悲劇をもとに、アリストテレスは語る。中学生くらいの頃に、オペラの楽曲をきいたり、フロイト理論から、ソポクレスのオィデプス王にたどり着いたのだが、何ともやりきれない話である。
カタルシスという言葉については、いろんな説があって定まらないようだ。当たり前のようにも思う。なぜって人の心の動き方、感じ方の問題でもあるわけで、普遍化できる部分もあるだろうけど、それだけでは片付かない点も残るだろう。...