芸術史と芸術理論 第二回 文字と朗読

芸術史と芸術理論 第二回 。寝椅子の使い方に対する悪ふざけはともかく、まさにイロイロ考えさせられる内容だった。人類が600万年前に誕生したとして、文字ができて数千年、そして識字率、大半の人が文字を読み書きできるようになったのは、わずか数十年のことにすぎないとの話。伝達のメインは、口承だったし、朗読だった。ホメロスの詩が、多くの人の前で、詠まれるものだったというのは、識字率99%?なんて現代日本に生きる自分には、違和感を感じていたが、むしろ自分の環境でのモノサシだけで考えてしまった典型だった。
詩人本人の朗読と、プロのアナウンサーが朗読する場合の差についての話も興味深い。本人の朗読はその時の気持ちが蘇るが、アナウンサーの場合は、その解釈が加わる。それはそれで別の面白さがあるのだろうが、少し違うものだという話。作曲者は楽譜を残すが、演奏者によってどう蘇るかは、解釈の差で大きくでてくるよなあ。

関連キーワード

関連ページ

芸術史と芸術理論 第二回 プラトン!
芸術史と芸術理論 第2回 の放送講義は、がっつりプラトンだ。いやぁあ深いw プラトンについての記憶なんて、昔の人w で、たしか哲学者でイデアを唱えた人程度しか残っていなかった。イデアの何たるか・・・なんぞ、世界史の授業では深入りしなかったしな。まあ、学校の先生も深入りできるほどの知識もなかっただろうけど。プラトンが芸術をどう考えていたかを、その膨大な哲学、思想の中から切り出しての講義なんだが、うは
芸術史と芸術理論 第二回 文字と朗読
芸術史と芸術理論 第二回 。寝椅子の使い方に対する悪ふざけはともかく、まさにイロイロ考えさせられる内容だった。人類が600万年前に誕生したとして、文字ができて数千年、そして識字率、大半の人が文字を読み書きできるようになったのは、わずか数十年のことにすぎないとの話。伝達のメインは、口承だったし、朗読だった。ホメロスの詩が、多くの人の前で、詠まれるものだったというのは、識字率99%?なんて現代日本に生
芸術史と芸術理論 第二回 詩と詩的なものの違い
詩と詩的なもの違いも強烈だ。詩的なものは、詩から一番遠いものである。自己の内面を吐露することが詩人である、あるいは芸術である、個性的な内面を供出する表現することが、19C頃からの個人主義の確立とともに広がっているのは誰もが知っている、俺もそんな解釈でいた。世界の本質に向かう、真理、真実、根源に向かって、冷静に、峻烈に、正確にと、ただ努める。なんとなく詩的・・は、一番、詩から、文芸から遠いものである